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ふじやと福龍軒


荒尾のふじやへ2週間ぶりに行ってきた。

麺・スープ・建物の雰囲気
全てが大牟田の福龍軒に似ていたことから
pirolinさんと聞き込み調査を振り分けていたからだ


で、本日のふじや


140811_2カウンターとMENU


おばちゃんが注文聞きにきてくれた


140811_3おばちゃん



本日は4名

ラーメンと大盛りとチャーシュー麺と焼き飯セット

写真は焼き飯と大盛りラーメンだけね

140811_4焼き飯


140811_5焼き飯up



大盛りラーメン

そうこれこれ!
このスープと麺の太さ
たまらん!たまらん!

140811_1ふじやラーメン

ホワイトバランスを変えたのでスープの色が若干違うが
上の色合いがホンモノに近いと思う

140811_6麺up




で、帰りしな 若大将に聞いてみた。

「大牟田の福龍軒と同じ味に感じるとですけど
 何か関係があるのですか?」


すると…

「福龍軒は親戚になります」(キッパリ!)

何と!
ふじやの先代(若大将の御父上で既に他界)の
妹さんが福龍軒の初代大将へ嫁がれたとのこと。

ラーメンは福龍軒が先だったという事ですので
ふじやが福龍軒に習ったという事になります





久留米→玉名→熊本という一連の流れのなかで
玉名から逆に→荒尾→大牟田へと伝わったのではないか?
ラーメンフリークといたしましては
そんな一大スペクタクルを夢見ていたのでありますが
これは若大将の一言で崩れ去ってしまいました。


まぁそう云うことだったのです
似ていてなんら不思議ではなかったのです

良かったよかった
これで謎が解けました(^^)/






ということで福龍軒さんのラーメン写真 どうぞ!


<2010年夏>
140811_7福龍軒2010


<2011年春>

140811_8福龍軒2011


<2014年6月>

140811_9福龍軒2014





久留米で例えるなら

「沖食堂」と「ひろせ食堂」
「あおのれん」と「又兵衛」
「清陽軒」と「大砲」
「潘陽軒」と「鯉龍軒」

ちょっと違う関係も入ってますが…(^^;)




謎が解けた【ふじや】と【福龍軒】さんの話でした。


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COMMENT 4

pirolin  2014, 08. 13 [Wed] 18:15

な~るほど・・

そういうことだったんですねー
いやー解決、解決。。(^^♪

大牟田方面の次のターゲットはふじやにセットしますw

改めて福龍軒の歴史をググッてみたところ、
昭和26年創業の東洋軒から昭和30年に独立。
麺は両店とも玉子麺で有名な荒尾のイケスエ食品製。

東洋軒がどこで習われたのかがわかりませんが、
昭和26年以前となると三九、潘陽軒、南京千両しかない。

あの黄色い太麺はやっぱ三九やろ~、、
て気はするんですが、調べても出て来ないです・・

昭和26年にラーメン屋台を開業ってのはめっちゃ早いですね。

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TARZAN  2014, 08. 13 [Wed] 21:03

Re:な〜るほど・・

pirolinさん まいどです!

東洋軒はそんなに古いのですか〜昭和26年・・・
まだ占領統治されてた時代ですぞ〜
広川ICの三福も土橋で昭和25年創業ってんですから
もしかしたら出はおなじところかもしれませんね

三九・潘陽軒・・・(敢えて南京千両は出さない)
もしかしたらストレートに光華楼かもしれませんね

たぶんあの頃の大牟田は炭鉱ですごい賑わいだったはず
街にはおっさんや兄さんやじいさんやらワンサカ繰り出して
その相手をするおねぇさんやおばさんやおばぁさん達も
そりゃそりゃ元気の良い時代だったのでしょうねぇ

そんな殺気だった街中の屋台ラーメン
出来る事なら一度でいいから食べてみたい
ラーメン好きとしては死ぬまでには一回・・・
無理だと分かっているけど・・・(笑)


しかしどうにかしてその始まりあたりを
確認した〜〜いという欲求に駆られる
中途半端なおじさんなのであります

今度、東洋軒行って聞いてみようかなぁ

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pirolin  2014, 08. 14 [Thu] 05:45

No title

三福が昭和25年ですか!
三九から3年後ですね。

杉野さんは誰にでも作り方を教えて弟子が100人いるとも
言われてますから、やはりその辺りでは?

満州引き上げ者の生活の糧として、
ラーメン屋台が急速に広まったんでしょう。

こうしてる間にも佐賀の三九や一休軒が消えましたもんね。
喰えるとこ喰っとかんと・・(^_^;)

東洋軒が大牟田最古みたいですから気になりますね~

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TARZAN  2014, 08. 14 [Thu] 05:52

たぶん

敗戦当時はまだまだ日本人の団結力はすごかったと思うのです

仕事もない時代ですから 来る人拒まずで
親身になって教えてた杉野さんがいたはずです

やはりそこらあたりが始まりかもしれませんね



一休軒は広島で食べられるという話ですが
広島行く事ってなかなかないですからね

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