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久留米ラーメン考


ラーメンが好きだ
かなり好きだ

白濁してようがなかろうが
スープと麺という組み合わせが好きだ

うどんでも蕎麦でもチャンポンでも
とにかく麺類がすきなのである





で、最近思うことがある

今では通説となっている
久留米ラーメンの歴史


久留米は白濁豚骨スープ発祥の地だという。


誰が云い始めたのか
こういう事になっている


「屋台の店主が間違って濁らせてしまったが
 それに味付けして食べてみたら思いの外うまく
 それが九州各地に広がっていった…」


と、これが通説になっていて
雑誌やネットでも
このように書かれていることが多い


しかしひとつ矛盾点があるとです


まずはじめに・・・
「それまでの久留米ラーメンは透き通ったスープだった」


 和食の世界でも洋食の世界にしても
スープを濁らせるのは御法度なのです


必然的に清湯(ちんたん)であったはずです


濁らせないために火力は小さい

※当時の屋台では一斗ガンに水と骨を入れて
薪で沸かしていたんだそうです


だが・・・・

<火を付けたまま外出していた店主が屋台に戻ると
 そこには白濁してしまったスープがあった>

やっちまった〜なのでしょうが

はたして小さな火力で炊き続けて白濁するんでしょうか


かすかに濁りはするかもしれませんが
白濁はしないのではないか!と思うわけです



白濁させるためには強烈な火力が必要です

現に現在のラーメン店を見てみるとよく分かります

トロ火でスープ作っているところなんてありません



おまけに当時の屋台にそんな火力があるはずもなし
※一斗ガンに薪で・・・


推測するに・・・
白濁スープは屋台から始まった!
などと云う話は
実は作り話(ウソ)なのではないか


そう思うのであります
(私の推測です)



この話はもう少し調べてみることにして


次回へと続くのであります・・・






あの時代に行けたらなぁ 
と心は昭和20年代前半

そんな雨の日の午後なのでありました


<来雷軒|特製ラーメン630円>
140614_8来雷軒




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COMMENT 9

tani  2014, 06. 18 [Wed] 12:48

No title

こんにちは、初めまして。
密かに、いやヘヴィーに訪れて記事を読ませていただいています!

自分も久留米の人間(あずま屋の近所)でありまして、ココで紹介されている近場のラーメン屋さんに足を運んでみたり、と参考にさせてもらっています。自分は34歳でこってり味も好きですが、昔ながらの久留米ラーメンも良く食べるようになりました!

以前のブログ?個人的・・・の時から見ていて、そこで知った青峰の大峰ラーメン、丸徳ラーメンなんかはからりストライクで個人的穴場ラーメン屋になってしまいました!
 また、よく出てくる来雷軒にも足を運ぶように(笑)ココの口直し?の煮豆が痛く気に入りました!良いお店を知るきっかけになった貴方のブログに感謝です!!
 これからもちょくちょく覗きますので、面白い記事に期待しております。

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TARZAN  2014, 06. 18 [Wed] 17:54

taniさまへ

taniさま

コメントありがとうございま〜す。
旧サイトの頃は好き勝手の書き放題でしたが
最近は腹立つ店にも行かなくなりましたし(^^;)
たまたまそんな店に行ったとしても
お店のこと自体書かなくなりました。

そんな感じですがこれからもよろしくお願いします。


PS:鳥栖の「盛多や」さんオススメですよ(^_^)v

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クロスケ  2014, 06. 19 [Thu] 04:27

久留米ラーメンの歴史

私も久留米に長く住んでいたので、今でもラーメンを食べまくっております。
実は、私も同様の疑問を長年感じておりました。というのは長年様々なラーメン店で食べ、大将と直接話すようになり「火力が強く、しかも長時間煮込まないと色、味が出ない」と聞かされ、実際に様々なラーメン釜を拝見させて頂いて参りました。
そんな中、比較的参考になる文献が、今年発見されました。
「ラーメンwalker 2014」という今年の雑誌に、少し特集があります。
この雑誌の2014年版に見開きのカラーページにて「豚骨ラーメンの歴史を考察する」という部分がありました。
その説明、歴史をみると「確かに、白濁事件」が書いてあります。
が、重要なのは「白濁事件前の、豚骨ラーメンの時系列」が、掲載されておりました。
要約しますと、

「白濁事件の10年前から、日本には豚骨ラーメンが存在した」とあり、結論から言えば
・屋台南京千両が日本初の「清湯スープ(豚骨」を作っていた
との事。これも説明が掲載してあり、
・「屋台南京千両の大将は 元々 うどん屋の屋台をやっていた。が、東京で当時人気だった支那そば屋と、大将の出身地長崎の長崎チャンポンの 合体作品を作りたく思い立ち、 当時の久留米にあった中華料理店:光華楼 に通いつめて(味を盗む?)、 当時高級だった鶏の骨より安かった 豚の骨を使い、 豚骨100%の清湯スープ を誕生させて、 うどん屋台を廃業し、屋台の南京千両をスタートさせた」

と記載があります。
この記事のカラーページを撮影し、保管してるのですが、こちらに添付出来ないのが残念です。
ラーメンwalker 2014 を入手出来れば是非、読んで頂きたいと思います。

しかし、白濁事件の「それ自体は歴史的事実」として紹介され「白濁が本当に真実だったか?」には追究は成されていません。

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TARZAN  2014, 06. 19 [Thu] 08:41

クロスケ様へ

クロスケさま

コメント&情報ありがとうございます。

まったく書かれている通りで、
南京千両は光華楼に習われたようで
始まりは清湯スープだったようです。

それでも支那には昔から
清湯と白湯は存在していたらしいです。

ただ白湯と云っても
現在の白く濁った(乳化した)ものではなく
基本的に弱火でコトコトの延長ですから
若干濁ったものだったろうと推測するわけです
弱火で乳化するわけがありませんからね。

このことから考えるに
当時の屋台にそのような火力があったのか?
はたしてどこまで白濁出来たのか?

この部分が今回の記事につながるわけです。



「清湯であるべきスープがちょっと濁ってしまった」

たぶんこれくらいのレベルなのではないかと推測するわけです。


ですから、
現在の完全白濁乳化スープはいったい誰が始めたのか?
そこに謎と疑問が残るわけであります。

ヒントは
・燃料が簡単に入手出来るようになること
・それに耐えうる重油バーナーの発展


ここに1952年(S27)アメリカの占領統治終了が
大きく関わってくるのではと考えています。

多くの店が27年以降に出来ていることを考えると
燃料の流通(もちろん小麦の流通も)は白濁乳化スープに
密接に関わっているのではないかと考えられるわけです。


実は
久留米ラーメンを語る上で非常に重要な店があるのですが
今は無きその店はみなさんの記憶からも無くなったようで
最近ネットや雑誌で話題にする人もいないようですね。

しかしこの先、この部分が明らかになったら
ちゃんと書こうと思っています。



クロスケさん、また遊びに来てくださいね(^_^)


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pirolin  2014, 06. 26 [Thu] 21:44

No title

これはまた興味深いテーマですねー

まず頭に浮かんだのが生栄軒のスープです。
あそこのスープは清んでる時と濁ってる時があって、おばちゃんに聞いたら月曜にスープを新しくするから週の初めは清んでて水曜あたりから濁ってくるって話でした。白濁ではなく呼び戻しによる混濁って感じですか・・

生栄軒は西鉄駅前の戦後の闇市時代からやってたらしいので、南京千両の清湯と白濁の間に位置するのかもしれませんね。

あと考えたのは一番最初に店舗を構えたラーメン店はどこなのかってことです。きっちりした情報は見つからなかったんですが、S23年の屋台開業から数年で店舗になったという潘陽軒みたいですね。

中国で豚骨スープを習ってきたそうですから製法もそのままなのかも。

でも大正6年と店舗創業が最も古く、かつ強力な火力と豚骨スープの両方を最初から手にしていたのは光華楼ですね、、(爆) (^0_0^)


ところで南京千両がオープンした昭和12年は日本軍の南京占領の年で、それに因んで店名にしたって話し知ってます?

当時軍都だった久留米の師団が南京攻略戦に参加してますから、ワールドカップどころの騒ぎじゃなかったでしょうね、、^^;

豚骨の供給元も陸軍だったでしょうし。。

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pirolin  2014, 06. 26 [Thu] 23:33

おや?

昭和27年というと幸陽軒の開業ですね。

ちなみに私の持ってる資料では幸陽軒は「耐火煉瓦を組み上げた大釜」で、昭和40年の丸幸から「重油を使用する高火力スチームボイラーに転換した」そうです。

あと幸陽軒より先に南京千両が寺町に店舗出してるようです。
店舗型は 潘陽軒→南京千両→幸陽軒 ですかねー

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TARZAN  2014, 06. 27 [Fri] 10:03

No title

pirolinさま

さすが詳しい!(^_^)

いろいろ詳しく書けない事情もありまして
でもpirolinさんが書いてくれて(笑)

ポイントは重油を使ったボイラーでして
それまでの白濁とは一線を画すわけです。
たぶん別物だと考えられます。

生栄軒のおばちゃんが云ってた
「昔のまんまの作り方しかしきらん」
のだそうです。
当時はあれくらいの白濁感だったのですよ。

もったいないから捨てられない。
酸化してしまったスープを次の日も使う。

いかんいかん悪口を書きたいわけではなかった(笑)


続きは別記事で書こうと思います。

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pirolin  2014, 06. 27 [Fri] 16:38

いえいえ

たまたま福岡大丸の詳しいインタビュー記事を見つけただけです。
「大丸 源淵」でググってみてください。

幸陽軒(長女)、丸幸(八郷氏) 、大砲(香月)、大龍(長女)
の4件がヒットします。

上のリンクは削除されてるみたいで、
今のうちに保存しといたがいいかもです。

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TARZAN  2014, 07. 02 [Wed] 17:29

No title

pirolinさん

もちろん「大丸 源淵」は確認済みでございます(^_^)

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