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ここんとこの、、、

ホッケから帰った日の夜
バラしを最後までやった人へのご褒美写真が送られてきた。
みんなうまそうな肉を食っているw

負けてはおれん!と近くの焼き肉屋さんへ。

190912_07焼肉善吉

国富の肉には負けるが
悔しいではないか、、、



翌日はホッケロスなのか体調がすこぶる悪い。
何もしたくないとほっともっとのお弁当。

いつの頃からだろうか?
塩が悪者になったのは、、、

190912_02減塩醤油

塩は旅先でいろいろ買ってくる。
必然的に沖縄の塩が多くなるが
先日の炎のステーキで買ってきた塩
浜比嘉塩(浜比嘉島※)も沖縄の塩で
水を飲む時にひとつまみ一緒に食べている。
※伊計島へ渡る時に見える島(ココ

甘くて塩っぱい。
身体に入れるととても元気になる。


減塩。
高血圧の方を考えての事なのだろうが
なんかなぁ〜
「食塩を50%カットしてます」って
使ったことないけどどんな味するんだろ?
というかそもそも塩は身体に必要なものだしなぁ。

Wikiには古代ローマの兵士に塩(Sal)が支払われた、、、とあるし
給料(Salaly)の語源だというじゃないか。

まぁ自分の事は自分で決める!やね。
減塩くそくらえ!だ。




ホッケの楽しみのひとつ。
主催のガニ米で作ったおにぎり。
何個でもいける!

190912_06HOCKEおにぎり


熊本から出店のGoodGoodさんのピラフ。

190912_05goodgoodピラフ


二日目はナポリタンだったが
どちらもかなりうまかったです。



仕込み日にいただいた昼食の蕎麦。

190912_03八丁坂蕎麦


蕎麦もおにぎりも最高だったけど
左上の出来たて揚げ豆腐がこれまた美味!

190912_04蕎麦up








いつものマッサージ(整骨院)帰りに久々のうどん屋さん。

190912_01新の家うどん

稲荷は小さめゴボ天はデカめ。
出来ればかき揚げ風が理想。

自衛隊関係の店(推測)





ホッケから帰った翌日から体調悪し、、、
喉は痛いし身体は怠いし腰は痛いし、、、
なにやらいけないモノを連れてきたのかも?




23thホッケストック(宮崎・国富町)

今年は木曜日のうちに国富町入り。
高原ICで降り野尻町をすぎたあたりから雨が激しくなり
こりゃ明日の仕込みは大丈夫か?と心配したが
雨は降ったものの朝から予定通りセッティング出来た。
初日の本番前にドカッと降ってあとは進行上の問題もなく
二日目のエンディングまで迎えられた事は奇跡かもしれない。


190910_02JKファイナル

<大トリのJINN&KUMI>


エンディングは来年の東京オリンピックを記念し作ったオリジナルソング「せかいのうた」を全員で大合唱&大盛り上がりで終了。

<本番終了後の集合写真>
190910_01ホッケ集合写真


今年は明るい時間に終演。
そのぶん打ち上げが長引くのは仕方ないw

6日入りから連日の飲みモードではありましたが
楽しく4日間を過ごすことができました。


次は10月12〜13日の発心コンサート。
そして年末に向かって楽しい事満載なのであります。

しかし疲れました。歳は取りたくないですね〜。








またまた、、、

今年の4月と5月にCBOXで録音した「WORKS」
福岡のジャズ界の重鎮ベーシスト川上俊彦さんの初アルバムだ。

その80歳になられたばかりの川上俊彦氏が急逝された。

8月11日のライブ後急に体調を崩され緊急入院。
肺炎をこじらせ31日二度と帰らぬ人となってしまった。


<CottonSisters録音時|Roomsにて>

190904_川上さん


<9月2日告別式にて、、、>

190904_02告別式


心よりご冥福をお祈りします。
もっと一緒に現場やりたかったです。




心友を偲んで、、、

19歳の頃やってたバンドのドラマーY(久留米高専)が就職活動でバンド活動が出来なくなり、牟田山中学校同窓生の久留米高専生ということで紹介されたのが彼だった。

おぉ!久しぶり!でバンドは始まった。私はギター担当。





最初の出会い。


中学に上がったばかりの遅い春、彼は佐賀の三田川から我が牟田山中学へ転校してきた。

教壇で先生に紹介された後、俺の目の前の席へ。

すぐに仲良くなった。

翌日から毎朝彼の家へ行き一緒に登校するようになった。


2年になるとクラス替えで別れてしまい彼は優等生グループ、俺は落ちこぼれの悪さグループ、、、そのまま疎遠になったので、その時会うのも話すのも5年ぶりくらい、まさか彼がドラムを叩いているなど知りもしなかった。


一浪で高校に入った俺はみんなより一年遅れて卒業した。

彼は高専生で留年してやっと三年生という状態。

ダンパやら街のライブやら、やれるところでいろいろ演った。


高校時代からバイトしていたペンキ屋さん(建築塗装が主だったが西鉄バスの塗装もしていた)に卒業後もそのまま手伝っていた俺と、とあるきっかけ(後述)で高専を退学してしまった彼とはよく遊んだ。


彼はバンド絡みで出会った創業間もないPA屋さん「SET-UP」を手伝うようになり、俺も土日は現場にかり出されるようになる。そしてペンキ屋さんを辞める。(歯科技工士になるべく専門学校の勉強をするという言い訳は用意していた,,,)

PAの現場が終わると当時久留米では珍しかった西洋的居酒屋「くるくる館」で朝まで飲んだ。マスターのハカちゃん(故人)やSugiやAntonと出会ったのもここくるくる館だ。Sとは今でも交流がある。


ペンキ屋とPA屋の比重が変わってきた頃、彼はBSの福利厚生部「久留米音協」のコンサートやイベントのポスター貼りのバイトを仕入れて来た。これがなかなか割の良いバイトで一夜で経費をさっ引いてもひとり2万ちょいになった。ポスター貼り終われば「くるくる館」へ、、、楽しい日々だった。

そういや国政選挙がらみのポスター貼りは破格のバイト代だった。飲みまくった。


久留米音協のOさんからナベプロの話がきたのはそんな生活を一年ほど続けた頃だったか、、、彼は迷うことなくナベプロ(NonStop)の契約社員になった。俺はというと本格的にSET-UPで頑張ろうと決意する。

1980年。

そこからまた彼とは疎遠になる。


1982年、SET-UP廃業で日田のMusic-Cityへ移籍。

その頃福岡の現場で一度顔を合わせたが彼は見るからに業界人になっていたw

俺の事など記憶にないなぁ〜!そんな感じだった。(真意は定かでない)


彼が最初の結婚をしたのがこの頃だったと思う。

何故か結婚式には参加した。

全日空ホテル。盛大な結婚式だったが3ヶ月後には別れてしまった。

その頃は離婚理由など知りもしなかったが、俺でも別れてたと思う仕打ち。


俺も日田時代は楽しかった。バブル絶頂期だ。

彼も浮かれた絶好機の芸能界を楽しんでいたようだ。


俺は26歳で結婚して29歳で父親になった。

30歳を過ぎた頃、またバンドをやろうという事になった。

その時彼が連れてきたのがボーカルOくんだった。

演歌のうまいOくんはDTBWBをレパートリーにしていた俺らのバンドにはもってこいの役どころですぐに仲間になった。30年経った今も良き仲間だ。


40歳ちょっと前だったか、、、当時彼が同棲していた相方と結婚すると云いだした。

久留米市内の友人のホテルで多くの仲間が集い楽しく盛大に祝った。

数ヶ月後には別れると云い出し、部屋を出て行くという彼女の荷造りを手伝った。

泣きながら荷をまとめる彼女を見ると俺も泣けてきた。

ダンサーだった彼女は発心コンサートにも出演してもらった事がある。

元気にしているだろうか、、、。


1994 34歳の時11年間お世話になったMUSIC-CITYを退社した俺は久留米で第二のPA人生を始める。

屋号をどうしようか?と悩んでいると彼から「そのままTARZANで良いやんね」と、、、重ねるように今は亡きBEAMさん(故人)も同じように勧めてくれたのですんなり屋号が決まった。

数年間はアダナがそのまま屋号になった事に戸惑っていたが今ではコレで良かったと思っている。


彼は1996年佐賀で開催の「炎の博覧会」の吉野ヶ里会場の舞台監督の仕事で久留米に戻ってきた。

博覧会も終わったその年の年末、会場で知り合ったMCの女性と結婚すると云いだした。

三回目の結婚だ(笑)

ハワイで挙式をあげるという。

彼のお袋さんから「旅費を出すから参加して!」と云われたが、Oくんと共に丁重にお断りした。

我が家から車で数分のところで生活を始めた。そして三回目の結婚でようやくふたりの子供を授かった。

男の子Tと女の子A

しかし、幸せそうに見えた生活も数年後には破局を迎える。

二度も離婚を経験したのに何ら成長しない彼の生き方が好きだ(笑)

「こうなると分かっていても好きになるとよ」

なぜか彼が選ぶ人はB型の女性ばかりだった。

共通の何かがあるのだろうか。


それから間もなくロケで訪れた八丈島で彼は4人目の相方を見つけてきた。

バツイチの彼女は島の女らしく小柄ではあったが強く逞しく芯の通った賢い女性だった。

ふたりは福岡で暮らし始めた。

結婚するのかと思っていたが結局籍は入れなかったようだ。

珍しく10年ほど良い状態が続いたが彼女は東京へ戻ってしまう。

何があったのか書かないが、彼の持病、、、かわいそうな事をしたと思う。

東京へ戻る直前の彼女へ電話した。

悔しい、、、と泣きじゃくっていた声は今でも脳内に残っている。



離縁と同時に久留米に戻ってきた。

父親の借家で同居するという。

元来母親をリスペクトしていた彼は年老いた父を罵った。

事ある毎に聞きたくもない言葉が彼の口から発せられた。

聞いている俺らはとても不快になった。

不快さを共有すべくOくんに同調を求めた。

それがそのまま彼の耳に入るとも知らずにだ。


それから疎遠になった。

Oくんの事も嫌になった。


そんな頃、福岡から深夜帰宅中、大型トラックに正面衝突し重傷を負う。

事故現場に駆けつけた警察官が彼の車を見た瞬間「運転手は即死だな、、、」と諦めたくらいの事故だったらしい。1週間の集中治療を受け数ヶ月後には退院、そしてリハビリ入院生活が始まるのだが、その後奇跡的な復活を遂げて趣味だった宝満登山も始められるようになった。

そんな復活劇を周りは素直に喜んだ。すごいぞ!と。


何度かの宝満山登山で異常な疲れを感じた彼は病院へ行く。

異様な血糖値から糖尿病~膵臓癌が発覚してしまう。


ここからは先回書いたので省略する。






昨日、死に顔を拝みに行ってきた。

お父様が云われるには体重は30kg台まで落ちていたらしい。

夜中トイレに立った時に転んでしまいそのままの状態で早朝発見されたらしい。

そもそも過度なモルヒネの摂取で頭は朦朧としていたのだろう、もしかしたらこれが最期と分かっていたのかもしれない。


知り合ってからあっという間の47年。

たぶん忘れていることが多い気がします。

君が生きていればもっと楽しい想い出話を聞けたかもしれませんね。

君と同じ時代に生まれ育ち、同じ時間を共有出来た事を感謝します。

生まれ変わってもまた出会うだろう事を信じて、、、


伊藤博:1958年(昭和33年)1119日~2019828 60




令和元年829日 丸山幸一






永遠の別れ

中学時代からの心友があの世へ召されていった。

2017年11月29日深夜
大型トラックに正面衝突し瀕死の重傷を負い
半年かけて復活したと喜んだのも束の間
身体のいつにない怠さから病院へ行くと糖尿病だと診断され
その異常な数値から膵臓癌が見つかってしまったのが2018年11月末。

その時点で半年の命と余命宣告を受けるのだが
癌治療をすることなく自然の成り行きに任せた。

5月末には生前葬(騒)を行い皆で集い、、、

6月には八女市のホスピスに入所。

生前葬から三ヶ月。
8月28日午前2時
ひとりで旅立っていきました。


ありがとう!
君がいたから今の私があると思っています。
いろいろ酷いことも言い合いましたが
それもこれも信じていたからこその事。
これまでの楽しい人生をありがとう!

しかしホント
いなくなると寂しいものなのですね。



お盆からのいろいろ

ちょっと間が空きましたが
みなさまお元気でしょうか?

煽り運転のふたりが連日TVを賑わせて久しい。
マスコミに節度を求めるのは無理だろうが
見飽きた視聴者は遙か先、、、それに気付かない。
北と西を向いた隣国の無知と同じものをマスコミに感じる。

しかし知りたいのは結果ではなく原因なのよね。
繰り返し再生される殴る(られる)シーンより
そこに至った経緯を知りたいのであります。

被害者はどんな運転してたんだろうね〜。





ワイン酵母で発酵させたという
青森県の日本酒をいただいた。

見るからに白ワインの雰囲気。

190824_02ワイン酵母酒

V1116というワイン用の酵母らしい。

190824_01V1116.jpg


瓶の中では淡い色が付いているけど
グラスに注ぐと白。
口に入れると仄かなワインのかほり。
そしてあとから日本酒のドシッとした味わい。

みんないろいろ考えるね〜。





今年も中津江MFに参加してきた。
今年は二日間開催で初日におじゃました。


190824_04中津江で珈琲

発心チームというか
ホッケチームというか
みんな示し合わせたように集ってくる。

今年で終わりだという中津江MF(これまで何度も噂はあったが、、、)
40年ってすごい!
ちなみに初回から参加してる私もなんかすごい!

190824_03nakatue-.jpg


翌朝6:00中津江をあとにした。
また来るよ中津江!





戻って久留米のお祭り現場。
例年酷暑の中の現場だったのだが
今年は曇り空で過ごしやすかった。

190824_07南薫お客さん

お客さん達の顔にも余裕が見られる。


お祭りと云えば抽選会。

190824_06南薫祭り




ケーブルガードが安かったので
1m物を10個ほど仕入れた。

190824_08ケーブルガード

とても便利です。
あと10本ほど仕入れるか、、、



ササッと仕込んで昼メシは六ツ門商店街に復活したカレー屋さん。

190824_05印度カレー


こんなんだったけ〜〜?
中学生〜高校生にかけて味のタウン「ナイルカレー」とココはよく食べた。
舌の感覚は確実に変化してるようで
ノスタルジーだけでは片づけられないものがある。





安産祈願をやるというので水天宮さんへ。

正しい日本を示してくださるところ。

190824_11竹島ポスター


無事祈願を終えあっくんへ。

190824_10あっくん焼きそば


鹿児島の旦那さんは
何を食べても感動してくれる(笑)






いつもの馬場整骨院帰りに川瀬交差点近くの、、、

190824_09つる荘ラーメン


ここの大盛りはダブルです。
それを忘れて着丼で思いだし
反省しながら完食するという
毎度のお馬鹿さんをさらけだす。





あずまやへ行ったら休み。
最近ココは定休ではないらしいね。

しかたなく
柳県を下り最近流行のステーキ屋さんへ。


溶岩石プレートで焼く。

190824_11炎ステーキ

200g 980円
ご飯とスープとサラダ取り放題で+180円。
某チェーン店よりもこっちが良いかも、、、。


溶岩石パワーは凄くていつまでも熱い。
そのまま焼き続けると最後のほうが焼けすぎてしまう。
切ったらサラダ皿へ移し食べる分だけ焼く。
食べる分だけ焼く・・・の繰り返し。
これでいつまでも焼き加減最高で食える。

190824_12ステーキ


盆過ぎのここんとこの、、、でした。







花火大会

2008年までやってた花火大会の仕事を
11年ぶりにお手伝いしてきた。

JCメンバーがスポンサー集めから運営まで
すべてを取り仕切っている花火大会は
全国でも珍しいのではなかろうか、、、

この地区のJCとの付き合いは25年以上になろうか。
大人の事情というやつで業者が変わるのはよくある話。



運動公園内をこのタワーをメインに音を出す。

190811_01イントレ

最高部は12mほど。

190811_02イントレ


仕込みは前日真っ昼間(暑いっ!


当日。

タワーの横に設置した機材たち。

190811_06mixbooth.jpg


風もあって(スポットクーラーw)
なかなか涼しい(笑)

190811_07ふたり
出演は
M社snakeman氏とC社mukai氏
余裕やね。



1番遠い250m地点に2個(+スタンド)

190811_08遠くの屋台とTSP


広場の中にテーブルと椅子がわんさか

190811_09遠くの観覧席


テーブルセットまで100mほど(タワーから370m)

190811_10遠くの観覧席



打ち上げ開始直前の屋台街

190811_11打ち上げ前の屋台街


花火ではなくイントレを観覧してる図。

190811_12打ち上げ




今回のイントレSP設置内訳。

A)北方向へ30W lo-z×6個
B)南方向へ30W lo-z×4個
C)西方向へ30W lo-z×8個
D)競技場内へ30W hi-z×4個

E)競技場裏向15W hi-z×2個
F)競技場と野球場を渡る橋の西側 15W hi-z×2個
G)競技場北側広場用 15W hi-z×2個

何も問題無かった。





仕込みは前日。

入り前に市役所横の「とん亭」さんへ。

190811_14とん亭

上ロース定食(840円)

醤油と練り辛子うまいんだなぁ
ソースはほとんど使わない。

190811_15とん亭






仕込み終わりで六角堂へ向かう。
その前にロヂウラ酒八利で一杯w

<塩かつおとパクチー>
190811_03塩鰹とパクチー

パクチー祭りをやってたので
体験パクチーでひとついただいた。


六角堂ではハーレー祭り。

190811_04superCub.jpg

ハーレーのオーナーはCub所有率が高いらしい。



唄う人。

190811_05CMB.jpg

このマイクロバスはいつでも唄えるように
PAがせっとされているんです。(AC必要)



花火終わりで24H営業の磯●水産へ。
〆は六ツ門のラーメン店。

190811_13ダルムとチャーシュー


この夜から体調優れず、、、
歳を考えろ!って神様の声が、、、w